タレントのやす子さんの生い立ちが児童養護施設であったことが公表されました。
真面目でどんな事にも笑顔で対応しているやす子さんだったので、このような過去があった事に驚いた方も多いのではないでしょうか。
この記事ではやす子さんの児童養護施設で育った過去について調査しました。
やす子が児童養護施設で育ったと公表
やす子さんは2024年7月16日の『24時間テレビ』のチャリティランナーを務めることが発表された会見で自ら公表しました。
その時のやす子さんの内容がこちらです。
やす子は会見で放映されたVTR内で「テレビでほとんど言ったことはなかったのですが、実は高校生のころ、児童養護施設にお世話になっていた時期があります。当時は、経済的に進学も諦めなければならない状況でした」と告白。2歳で両親が離婚し、母が働きづめだったが、経済的に厳しかったと明かした。
引用:オリコンニュース
やす子さんはこれまで過去のことを明かさなかった理由として
- 当時「児童養護施設にいました』って言ったときに引かれた
- タブーな存在になっていて言わなくなっていった
- 偽りで明るくやってると思われたり、かわいそうと思われたりすることを避けたかった
このように語っています。
児童養護施設にいた時の話
やす子さんは当時の環境についてこのように語っています。
「パソコンが(施設に)1台しかなくて取り合ったり、テレビのチャンネル権も取り合ったりと、足りないものも多く、友だちと話が合わなかったり、遊びに行くお金も当時はなかった」と振り返った。
引用:オリコンニュース
やす子さんは当時進学を諦めなければいけない環境であったことも語っています。
今回の24時間テレビのチャリティランナーでは児童養護施設にいる子どもたちに笑顔を届け、「子ども食堂」を作りたいという夢を叶えるため頑張ると意気込んでいます。
やす子が児童養護施設にいた理由
やす子さんが児童養護施設に入るきっかけとなったのが両親の離婚でした。
当時のやす子さんは2歳でお母さんも働いていましたが経済的に厳しかったそうです。
当時のやす子さんには妹が1人いたため、お母さん、やす子さん、妹さんの3人で生活をしていました。
当時の状況についてやす子さんはこのように語っています。
- テレビや洗濯機がなかった
- 50円でパンの耳を買って、それで食をつないでいた
- 給食の残りを自宅に持ち帰り、妹と空腹を満たしていた
- パンの耳でお腹を膨らませていた
- 給食以外食べない日が多かった
- 学校の水道水を持ち帰って食器洗いに使っていた
- 学費を払うのも厳しい環境だった
- シャンプーで体操服を洗う
お母さんは昼夜問わず働き詰めだったそうですが、それでも生活がかなり厳しかったようです。
それでも友達にはこのような環境を知られたくなくて、いつも笑顔で振る舞っていたそうです。
母親に内緒で駆け込んだ噂は本当?
やす子さんが児童養護施設に本格的に入った時期は中学3年生の頃と言われています。
その前にも生活が困窮した時は、児童養護施設に通っていたことも明かしているので当時は本当に厳しかったのでしょう。
そしてやす子さんは当時、母親に内緒で施設に通っていたことも明かしています。
真面目で優しいやす子さんなので、頑張って働いているお母さんに悲しい思いをさせたく無いという思いが強かったのかもしれません。
それからしばらくお母さんとの連絡は16歳〜22歳まで取れていなかったそうです。
しかし、6年ぶりに再開できた現在はお母さん、妹とも仲が良いことを明かしています。
やす子はどこの施設にいた?
やす子さんがいた施設は山口県にある施設と推測されています。
その理由として、やす子さんの高校が山口県にあるからです。
やす子さんは山口県立宇部中央高等学校に通っていました。
山口県には10個の児童養護施設があります。
- なかべ学院
- 下関大平学園
- 山口育児院
- 吉敷愛児園
- 清光園
- 防府海北園
- 俵山湯の家
- 共楽養育園
- 小野田陽光園
- ライクホームはるか
そして、この施設の中からやす子さんの通っていた中学校や高校に近い施設が「清光園」になります。
中学生や高校生の頃は自転車や電車しか使えないので、通える範囲となるとこの施設が有力になりますね!